ロレックスの広告、エディターたちのお気に入り4選

探検家やスポーツ選手、ビジネスリーダーといった人々の姿とともに登場するロレックスは、時計そのもの以上に「選ばれた人の象徴」としての存在感を際立たせてきた。

ロレックスの広告は、単なる時計の紹介を超えて、ブランドの価値や哲学を雄弁に物語ってきた。そこには「精度」や「防水性」といった技術的な訴求にとどまらず、その時計を身に着ける人物像やライフスタイルを描き出す力がある。時代ごとに広告のアプローチを変えながらも、常にブランドの核心にある“卓越性”を伝え続けている。

今回の記事では、数ある広告の中からエディター自身が特に魅力を感じた作品をピックアップ。印象に残るコピーやビジュアルを通して、ロレックスが築いてきた広告の系譜と、その中に息づくブランドの強さを探っていく。貴重なヴィンテージのロレックス広告はAd Patinaの創業者であるニック・フェデロヴィッチ(Nick Federowicz)氏にご提供いただいた。

ロレックス オイスターと初代アンバサダー、メルセデス・グライツの広告(1927年)

僕のお気に入りの広告は、1927年に公開されたロレックス オイスターとメルセデス・グライツの挑戦を結びつけたものです。ロレックス オイスターは、1926年に考案され特許が取得された世界初の腕時計用防水ケースで、ブランドの歴史を大きく変える革新のひとつでした。

その翌年、若きイギリス人秘書であった26歳のグライツが英仏海峡横断に挑み、この新しい防水時計を着用したのです。冷たい海水の中を10時間以上泳ぎ続けても完璧に動作し続け、その性能の高さを実証しました。

イギリス人女性として初めて海峡横断に成功した彼女のニュースは瞬く間に人々を魅了し、この快挙に着目したロレックスの創業者ハンス・ウィルスドルフは後日、ロンドンの新聞『デイリー・メール』誌に全面広告を掲載。広告には「自然をも凌駕する驚異の時計」という太字の見出しと共に「ロレックス オイスターのデビューと世界進出」を発表しました。

この広告が発表された当時、まだ懐中時計が腕時計よりも一般的でした。服の中に収めることで埃や湿気から守ることのできる懐中時計が主流だった時代に、「海を越えても壊れない腕時計」が登場した驚きは想像に難くありません。

この広告が特別なのは、単に時計のスペックを伝えるのではなく、“実際の人物の物語”を通じてブランドの信頼を築いた点にあると思います。いわば広告が「機能の証明」から「象徴的なストーリー」へと進化する瞬間だったと言えるでしょう。

ロレックスは現在、タイガー・ウッズやロジャー・フェデラーといった世界的な人物たちをテスティモニー(他のブランドでいうアンバサダー)として迎えています。時計そのものの性能を語るのではなく、その時計を選ぶ人の物語を通じてブランドの価値を表現する手法は、今やロレックスのコミュニケーションの大きな特徴となりました。

その始まりに位置づけられるのが、まさにこの1927年の全面広告でしょう。これはロレックスの広告史の原点であり、現在に至るまで続くストーリーテリングの基盤を築いた象徴的な出来事と言えると思います。

なお、メルセデス・グライツが実際に着用した伝説的なロレックスのオイスターが11月9日にサザビーズが開催するImportant Watchesオークションに登場する予定です。市場に姿を現すのは実に25年ぶりとなります。時計史に残るこの一本がどのような評価を受けるのか、目が離せません。

戦後のロレックスは、オイスターケースなど頑丈さや精度を前面に押し出した広告で、明らかに男性的なブランドイメージを築いていた。1950年代末には、広告代理店のJ・ウォルター・トンプソン(JWT)社がMen who guide the destinies of the world wear Rolex watches(世界の運命を導く男たちはロレックスを着ける)というスローガンとビジュアルを打ち出し、この路線を象徴づけた。けれども、こうしたメッセージでは女性に響かないことも事実だった。

そこでJWTは、ビジネスやスポーツに関わる女性にも目を向けるべきだと提案した。一方でロレックスも1957年に女性用のデイトジャストを投入し、製品面で女性へのアプローチを本格化させた。そして1959年には、女性を主役に据えた“黒猫”シリーズが立ち上がる。猫を主役にしたイラストレーションと皮肉の効いたコピーで、ロレックスを“男の時計”というイメージから抜け出させようとしたのだろう。

コピーは It wasn’t feminine to know the time – until she had a Rolex(時間を知ることは女性らしくなかった ― 彼女がロレックスを手にするまでは)。ビジュアルには、宝石やティアラをまとった黒猫が優雅に佇み、その前脚には小振りなロレックスが輝いている。そして広告本文はこう続く。“黒猫のイメージに重ねるように、豪奢なバラや毛皮、クルマに囲まれ、男性たちに取り巻かれる女性にとって、時間は不要な細部でしかなかった。だが、ロレックスを贈るひとりの男性の登場で状況は一変する。時計を手にした彼女にとって、それは毛皮よりも個人的で美しく、クルマよりも女性的でありながら完璧な精度を備えた存在となった”。

この広告は、時間を知ることを野暮とする当時の性別観をひっくり返し、“時計を持つことは女性らしさを損なうものではない”という価値観を提示した。気まぐれで優雅な猫という象徴を介して、男性的と思われがちだったロレックスの固いイメージを、柔らかく塗り替えようとしたのだろう。また時計業界における先駆的な試みのひとつであり、当時の常識に挑む姿勢をのぞかせていたのだと思う。

ここからは私の思いになるが、この広告に引かれるのは、その舵切りが1950年代という早い時期に行われている点である。当時の社交界では、女性がその場で露骨に時刻を確かめるのは無作法とされ、さりげなく読めるようにダイヤルに角度が付いたレディスウォッチや、宝飾に文字盤を隠すシークレットウォッチが支持されていた。女性が時間に縛られるべきではないと公然と言われた空気のなかで、ロレックスは自分の時間を生きる女性を応援するような姿勢を見せた。広告にいる黒猫の表情は、女性が自分の時間を選び取っていくんだという強さを感じる。時計の広告というより、ロレックスの意志のようなものが感じられる。

後にこのシリーズは、1960年にLayton Award(英国広告協会)を受賞し、ロレックス広告史の転換点として評価されている。男性に語りかけるコピーから、女性の自己表現を後押しするコピーへ。この転換は、今日まで続くロレックスの数ある魅力のうちのひとつを形づくったのだと思う。